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聖歌は生歌

聖歌は生歌

季節賛歌

ここでは、季節賛歌について扱いますが、その数も多いので、詳細は『今日の聖歌』で、その季節毎にふさわしい
曲を取り上げます。ここでは、いくつかの曲について曲、また、そこに見られる特色について、簡単に見てゆきたいと
思います。
 季節賛歌は、とりわけミサの式次第との関連が深いものがほとんどです。というのも、季節賛歌は、季節に固有あ
るいは、季節の中の祭日に固有のものですから、特に後者の場合は、その日の典礼、全体の流れの中で作られて
いるからです。なお、季節賛歌に分類されているものの中でも、受難の主日から復活の主日までは、聖週間の典礼
として、見てゆくことにします。また、続唱は、別に項目を設けます。

《待降節》
【解説】
 待降節の入祭の歌として歌われるのが、301「天よ露をしたたらせ」です。グレゴリオ聖歌でも "Rorate Caeli "
として有名な曲です。日本語の歌詞は、『教会の祈り』待降節木曜日「朝の祈り」の「神のことば」および「答唱」から
とられています。
 前半ではイザヤ45章の8節が歌われます。「天」と「地」は、イザヤ66:1で「天はわたしの玉座、地は私の足台」と
言われ、そちらも、神の住まいの象徴とされています。「雲」は出エジプト記でしばしば、神の臨在のしるしとして登場
します(13:21,16:10,24:15,40:34など)。「正義」と言うことばを、『聖書 新共同訳』は、「恵み」と訳しています。ど
ちらも語源は同じで、「正義」は「神の恵み」ということができるでしょう。この45章の8節は、「わたしが主、創造する」
と言うことばで結ばれています。この「創造する」という語=ヘブライ語の「バラー」と言うことばは、必ず「神/主」が
主語となっており、神ご自身がこのことを創造されることが言われているのです。
 後半の、詩編72は、「神の祝福された王国の平和」を歌う詩編です。この「主が選ばれる」(申命記17:15)王は、
「神なる主を畏れることを学び、律法のすべてのことばとこれらの掟を忠実に守り」(同17:19)、また、「同胞を見下し
て高ぶることなく」(同17:20)、「正しく民を治め、正義をもって貧しい人を守り」(詩編72:2)、「貧しく不幸な人をあわれ
み、苦しむ人に救いをもたらす」(同72:13)ものです。「王」とはまさに、神の救いを民の中にもたらす神の代理者であ
り、その王国の「平和」はまことの「平和」=神の支配が満ち満ちたものとなるのです。
 調号は2♯のD-Dur(ニ長調)で、一見すると式次第と無関係のように思えますが、待降節には同じ調号の栄光の
賛歌を歌いません。待降節は、悲しみの節制ではなく、主の到来を、いわば、わくわくしながら待ち望む季節です。
そこで、主の栄光をたたえる栄光の賛歌と同じ調号を用いて、喜び待ち望む心を表しているのです。
 冒頭、4小節、同義的並行法の部分は、後ろの2小節が、最初の2小節より、旋律は、ほぼ2度低く歌われます。
これは、後半(Fineの後)の4小節も同様です。5小節目では、「開いて」を象徴するように、旋律も一気に上昇し、最
高音D(レ)に達します。「救い主を生み」では、自然に rit. するように、旋律に臨時記号(♯)が用いられ、最後は穏
やかに終止します。
  後半、旋律、和音ともに、前半とほぼ同様に繰り返されます。最高音に達する「王は来る」は、原文では1回です
が、切迫した主の再臨を表すために、畳み掛けるように繰り返されます。最後は、穏やかに終わり、D.C.となります。
【祈りの注意】
 速度の指定は、四分音符=56くらいですから、比較的ゆっくり、と言うより、悠久の大河が流れるように、ゆったり
とレガートで歌います。決して急いだり、マーチのようにならないようにしましょう。
 冒頭は、mp とmf の中間くらいの音の強さで歌い始めましょう。3・4小節目は、1・2小節よりほぼ2度低く繰り返
されますので、やや、強さを弱めてはどうでしょうか。「大地よ開いて」からは、旋律も一気に上昇し、大地が大きく開
くように(実際にはそういうことはありませんが)、堂々と歌いましょう。「正義の花」からは、再び静かになり、神の恵
みである「正義の花」がやさしく静かに開くように歌い、rit. して終わらせましょう。二回目 Fine. のときは、特にてい
ねいにしてください。
 後半の冒頭は、-ここで、必ず基本のテンポに戻すことも忘れないでください-「牧場に露」が、「地を潤す雨」が、
人知れず天から降りてくるように、静かに歌います。主キリストも、そのように、人知れずこの世にお生まれになった
のです。「王は来る」は、二回畳み掛け、旋律も上昇していますから、「大地よ開いて」と同じように、堂々と歌いま
す。「民に平和を」からは、「正義の花を」と同じように、静かに、rit. dim. しておさめ、また、インテンポで冒頭に戻り
ます。全体的に静かに歌われますが、それがことばを生かし、救い主の到来を待ち望むこころを整えます。
 さらに加えれば、司祭と奉仕者の入堂の行列と、歌のテンポが合えば、より豊かな表現となると思います。

《降誕節》
【解説】
 降誕節、とりわけ降誕祭の入祭の歌は、305「やみに住む民は光を見た」です。この曲の歌詞の、1番は主の
降誕の夜半のミサの第一、第二、福音朗読から抜粋され、2番は、同じく答唱詩編で歌われる詩編96の、答唱詩編
で歌われる節以外の節から取られています。
 
 やみに住む民は光を見た      イザヤ9:1a
 ダビドの町に生まれた幼子     イザヤ9:5/ルカ2:11
 すべての人を救う恵み        テトス2:11
 すべての民におよぶ喜び      ルカ2:10
 神に栄光、人に平和。        ルカ2:14

 世界よ神をたたえ歌え        詩編96:1a
 神は来られた              詩編96:13b
  告げよ知らせよ            詩編96:2b
 すべての国にその救いを       詩編96:3a
 すべての民に不思議なわざを    詩編96:3b

 この、ひとり子によってもたらされる救いは、イスラエル民族だけではなく、すべての国、すべての民におよぶ大きな
喜びです。「神は、すべての人が救われて真理を知るようになることを望んでおられる」(1テモテ2:4)のですから、
この喜びは、すべての国、すべての民に告げ知らされなければなりません。この救いは「キリストがわたしたちのため
にご自身をささげられた」(テトス2:14a)ことと、死者の中から復活させてくださったことによるものなのです。キリスト
によってもたらされたこの救いは、神の栄光の現れであり、その救いの喜びにあずかる人々は、「平和(シャローム)」
に満たされます。こうして、「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ」(ヨハネ8:
12)と言われたキリストのことばが実現します。
 1♯のG-Dur(ト長調)は、平和の賛歌と同じです。136「すべての王は」も同じ調号です。わたしたちのうちに来て
くださり、わたしたちを導いてくださる主の到来を祈るもの、と言えるでしょう。
 冒頭、低音部のD(レ=式次第の基本的最低音)から始まった賛美は、2小節目で一気に6度跳躍します。この6
度の跳躍は、しばしば見られますが、ほとんどの場合「時間と空間を超越した表現」に用いられます。ここでも、1番
では「すべての人を照らす光、キリスト」を、2番では「すべての時代のすべてのもの」に「たたえ歌え」と呼びかけま
す。4小節目も同じように、すべての人の救いのために「生まれたおさなご」の誕生を「告げ」るように促します。
 4小節目のアウフタクト「すべての」からは、同義的並行法を、ほぼ2度低めて繰り返します。最後の二小節、天使
のことばの部分は、「神に栄光」をG-Dur(ト長調)の一の和音のアルペジオで一気に上昇させ、「人に平和」は、主
音を中心にして、穏やかに治めています。
【祈りの注意】
 指定された速度の、四分音符=69は比較的ゆっくりです。場合によってはもう少し早めに始めてもよいかもしれま
せん。冒頭から、しっかりとした声で歌いましょう。1小節目から2小節目にかけての、6度の跳躍は、明るい声で、響
かせてください。1番では「すべての人を救う恵み」は、最初よりいくぶん音の量を下げたmf で、続く「すべての民に
およぶ喜び」は、ほぼ二度低く歌われますから、mp にすると、緊張感が高まり、ことばにも注意が向きます。「神に
栄光」は、mp から、テンポを落とさず一気に cresc. します。「人に平和」は、穏やかに、平和が訪れるように、p で
さらりと終わるようにします。1番のときの rit. は、やや少なめにして最初に戻り、2番では比較的ゆったりとしておさ
めましょう。
 「神に栄光」以外の各小節の冒頭は、すべて付点八分音符+十六分音符になっていて、全体に躍動感を与えてい
ます。この付点八分音符+十六分音符を生かしてください。ただし、あまり鋭くすると品位がなくなります。この歌全
体が「品位ある喜びの歌」(『典礼聖歌を作曲して』114ページ)であることを忘れないようにしましょう。

 降誕祭(クリスマス)と言うと、ついつい、ヨーロッパや合衆国でできた、いわゆる「クリスマスキャロル」ばかりが「ク
リスマスの歌」と思われがちで、この傾向は、カトリック教会でも同様です。『典礼憲章』にも「聖書から詩編が歌わ
れ、聖書の息吹と感動から典礼の祈りや祈願や聖歌がわき出し」(24)、とあります。最初にも見たように、この聖歌
の歌詞は、主の降誕の夜半のミサの聖書朗読を中心にして作られています。キリストは、特定の人、特定の文化、
特定の時代の思想を優れたものとするために来られたのではありません。キリストはすべての人の救いのために人
となられ、十字架上の死と復活によって救いをもたらしてくださったのです。その、主の降誕を喜び祝う、賛美の歌も、
同様に、特定の時代、文化のものだけが当てはまるのではありません。『典礼憲章』に示された精神に従って作られ
た、この聖歌を、わたくしたちは、日本の祈りのこころとしての主の降誕の喜びの歌として育んで行きたいものです。


《四旬節》
 【解説】
 四旬節の入祭の歌としてふさわしいものの一つは、311「神を求めよ」です。この聖歌についての解説は、「典礼
聖歌アンサンブル」のCD『四旬節の聖歌』にも書きましたが、ここでは、もう少し詳しく記述します。
 この聖歌で歌われるイザヤ55章は、《第二イザヤ》に含まれ、この55章は、《第二イザヤ》の最後の部分に当たり
ます。《第二イザヤ》では、イスラエルから始まった神の救いは、エルサレムを中心にして、全世界に広がってゆくこと
が述べられています。すなわち、イスラエルの救いはそれ自体で完結するものではなく、イスラエルが救われること
によって、「すべての人が神の救いを見る」(詩編98:3)ようになるのです。これは、第二バチカン公会議が教会を「救
いの秘跡」=「神との親密な交わりと全人類一致のしるしであり道具」(1項)と説明していることと同じです。神
の民とは、自分たちが救いにあずかるだけでは不十分で、全人類を救いにあずからせ、そのために祈り働く必要が
あるのです。
 このイザヤ55:6-7を含む、1-11節は、復活徹夜祭の第五朗読であり、主の洗礼の祝日の第一朗読でもあり
ます。このいずれも、答唱詩編では、166「喜びに心をはずませ」(イザヤ12:2,4-6)が歌われますが、その中で
は、

神のわざをすべての民に伝え、その名の誉れを語り継げよう
神をほめ歌い、そのわざを全世界にのべ伝えよう

 と語られ、イザヤ書の多くの部分でのべられる、救いの呼びかけは、イスラエルばかりではなく、すべての民・全世
界に向けてなされるものであることが分かると思います。また、この朗読と答唱詩編は、洗礼の秘跡の予型となる旧
約の朗読と詩編唱です。復活徹夜祭に朗読されるイザヤ55:1-11の一部である6-7節が、四旬節の入祭の歌
となっていることは、四旬節が主の過越しを盛大に祝う復活徹夜祭に向けての準備であり、そこで行われる洗礼の
準備期間であることをよく表していると言えるでしょう。

 冒頭をはじめ、四回出てくる「神」は、旋律がいずれも、半音の音程が用いられています。これは、回心を呼びかけ
ておられる神の声を反映します。また、わたしたちの心の深みで働かれる神の声にこころを動かされたわたしたち
が、次第に天におられる神に向かってこころも声も高めるようにと、この「神」は一回ごとに音が高くなってゆきます。
 冒頭の「もとーめよ」(1番)「立ち戻れ」(2番)の旋律の部分では、作曲者が時間と空間を超越する表現で用いる、
6度の跳躍音程が、用いられています。作曲者自身が「時空を超える壮大な、預言者自身の我々への呼びかけのこ
とば」と書いていることからも分かります。
 後半、終わり近くの「わたしたち」は、P になることもありますが、わたしたちが、預言者を通して回心を呼びかけて
おられる、神にこころを向けなおすことをあらわすために、最低音のC(ド)-D(レ)で歌われます。
 なお、旋律は、冒頭、半音で歌われるために用いられている、臨時記号=ナチュラルで歌われるH(シ)を除いて、
回心の祈りの第三形式も含めた、ミサの式次第の範囲で歌われます。旋律の終止音が、F(ファ)となっているのは、
ミサの式次第の開祭の冒頭の音にそのまま続くようになっています。
【祈りの注意】
 この聖歌の、詳しい、強弱法(デュナミーク)と速緩法(アゴギーク)については、作曲者自身が『典礼聖歌を作曲し
て』の126~127ページに詳しく書いていますので、そちらを参照してください。
 この、祈りの主題は、なんと言っても2番です。1番から、あまりドラマティックに歌うことは避けたほうがよいでしょ
う。最近、演奏会などで、ドラマティックすぎて歌われるのを聞くことがありますが、それでは、主題がかえってぼやけ
てしまいます。洗礼と復活徹夜祭の準備とは言え、四旬節の回心の呼びかけですから、深い荘重な声で、神の呼び
かけにお互いのこころを動かす味わいを、かもしだすように祈りを深めましょう。
【オルガン】
 オルガンの伴奏は、荘重な祈りにふさわしくするために、バスはペダルで取りたいものです。深い祈りの歌ですか
ら、プリンチパル系の華やかなストップは避けたいところです。できれば、フルート系のストップだけか、必要に応じ
て、シュヴェル(Swell)の弱いストリング属を使ってもよいかもしれません。強弱をつけるには、シュヴェル(Swell)も使
いますが、基本は主鍵盤を使い、シュヴェル(Swell)を主鍵盤にコッペル(カプラー)するとよいでしょう。オルガンも、
歌唱と同じように、レガートを心がけることは言うまでもありません。

《復活節・終末》
 復活節、また、年間の終末にふさわしい賛歌が、346「勝利と力は神のもの」です。歌詞は黙示録の19章1-7
節からとられています。同じ「黙示録」からとられた有名な曲には、ヘンデルのオラトリオ『メサイア』の終曲の合唱が
あります。
 【解説】
 ここで歌われる黙示録の箇所は、バビロンの滅亡の結びと、神の小羊の婚宴のときに、大群衆の叫び、玉座から
の声が群集に賛美を促すことばです。キリストの復活によって先取られた神の国の宴、神の国の完成の時には、す
べてのものが、主である神と、神の小羊であるキリストをたたえて、その宴にあずかるのです。
 全体は、八分音符と、付点八分音符+十六分音符で生き生きと歌われます。また、ことばに合わせた旋律の上下
が、さらに躍動感を加えます。各節毎に繰り返される「アレルヤ」は、1回ごとにだんだんと高く歌われます。最初は1
度、次は5度、三回目は6度とだんだん緊張感が高まってゆき、最後は、主和音で終わります。各句の最初は、いっ
たん下降してから上昇する形を取っていて、音が高まったところで、付点八分音符+十六分音符によって力強さが加
わります。
【祈りの注意】
 冒頭から、付点八分音符+十六分音符を生かして力強く歌いましょう。黙示録の19章の6節では、「わたしはま
た、大群衆の声のようなもの、多くの水のとどろきや、激しい雷のようなものが、こう言うのを聞いた」とあります。こ
の、天にとどろくような声とともに、天にまで声を届かせたいものです。とはいっても、粗暴な歌い方にならないように
しましょう。全体をレガートに歌うことで、賛美の祈りを神のもとへ注ぎ込むようにします。
 「アレルヤ」が四回繰り返されますが、作曲者も 『典礼聖歌を作曲して』の109-110ページで書いているように、一
回ごとに rit. を豊かにしてゆきましょう。そのたびに、力強さも加えてゆくと、さらに祈りが豊かになります。特に、最
後の「アレルヤ」は最高音になりますから、この「アレルヤ」の歓呼の声が、天上に響くようにしましょう。1番よりも2
番のほうが、さらに豊かな rit. とします。
 この歌詞は、神の小羊の婚宴での喜びを表しています。復活節や終末主日ばかりではなく、「キリスト信者の死の
復活的性格をより明らかに表現」(『典礼憲章』81)する、葬儀にもふさわしい賛歌です。まだまだ葬儀では、この部
分が薄いように思います。ぜひ、この賛歌や「復活の続唱」などを用いてみてください。
【オルガン】
 神の小羊の婚宴での喜びを表すテキストの力強い賛美の声にふさわしく、堂々としたストップにしましょう。もちろん
人数にもよりますが、基本的にはプリンチパル系を用い、必要に応じてフルート系のストップで装飾します。伴奏も、
会衆の声と同様に、全体をレガートにすることを忘れないようにしてください。



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